説教「王の王なる神に栄光を」

総選挙を2日後に控えたケニアにて。

説教 AIC (Africa Inland Church)  2017年08月06日  7:00礼拝 相原功志 (日本語訳)

朗読箇所(1)

ローマの信徒への手紙11章36節

すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。

朗読箇所(2)

歴代誌上29章10〜13節

10

ダビデは全会衆の前で主をたたえて言った。「わたしたちの父祖イスラエルの神、主よ、あなたは世々とこしえにほめたたえられますように。

11

偉大さ、力、光輝、威光、栄光は、主よ、あなたのもの。まことに天と地にあるすべてのものはあなたのもの。主よ、国もあなたのもの。あなたはすべてのものの上に頭として高く立っておられる。

12

富と栄光は御前にあり、あなたは万物を支配しておられる。勢いと力は御手の中にあり、またその御手をもっていかなるものでも大いなる者、力ある者となさることができる。

13

わたしたちの神よ、今こそわたしたちはあなたに感謝し、輝かしい御名を賛美します。

説教「王の王なる神に栄光を」

教会員の皆さん、お早うございます。

神の御名を賛美いたします。

証から始めます。

本日8月6日は日本の広島を記念する日です。

1945年、第二次世界大戦が終幕を迎えつつあったこの日、原子爆弾が広島の上空に投下され、20万人もの人々が殺害されたのです。

亡くなった人のほとんどが罪のない一般市民でした。

戦争は何故起こったのでしょう?

そのきっかけは、一部の人たちの政治的かつ経済的な強欲に他なりません。

政治的または経済的なリーダーが、罪のない市民の平和を、促進することも、奪うこともあり得るのです。

もう一つ証があります。

最近私は早起きして世界のニュースを読み、聖書を読んでは祈っています。

ある日、イラクのモスルのニュースが私の心をとらえました。

モスルはイラクで2番目に大きな都市であり、数年間イスラム国に占領されていたのです。

数週間前に、イラクの政府軍がこのモスルを奪還することに成功しました。

罪のない市民が、時にテロリストの支配を受けることもあり得るのです。

私たちの政府は、テロ撲滅の活動をすることもでき、政府自身がテロリストになることもあり得るのです。

今日の私の説教を通して、聖書を参照しながら、リーダーの責任と、それに従う市民の責任について理解していきたいと思います。

前提にあるのは、私たちの唯一かつ最高のリーダーはイエス・キリストに他ならないということです。

ローマの信徒への手紙11章36節、「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。」

全てが神に由来するのであれば、地上のリーダーたちも神から出た者たちであると言えます。

聖書にある良いリーダーの例と悪いリーダーの例を見ていきましょう。

良い例としてダビデ王を、悪い例としてアハブ王とヘロデ王を挙げてみます。

ダビデ王は、聖書を通して優れた王として書かれています。

ダビデは来たるべきメシアの型であり、実際に来たイエス・キリストは「ダビデの子」と呼ばれました。

しかし、そんなダビデも完璧であったわけではありません。

ダビデもまた、バトシェバとの姦淫、ウリアの殺害、高慢な人口調査などの数々の罪を犯したのです。

しかし、どこが他の罪人たちと違っていたかというと、ダビデはどんな時も心を主に向けていたということです。

歴代誌上29章10〜20節には、そのダビデの美しい祈りが記録されています。

歴代誌上29章10〜13節、「ダビデは全会衆の前で主をたたえて言った。「わたしたちの父祖イスラエルの神、主よ、あなたは世々とこしえにほめたたえられますように。偉大さ、力、光輝、威光、栄光は、主よ、あなたのもの。まことに天と地にあるすべてのものはあなたのもの。主よ、国もあなたのもの。あなたはすべてのものの上に頭として高く立っておられる。富と栄光は御前にあり、あなたは万物を支配しておられる。勢いと力は御手の中にあり、またその御手をもっていかなるものでも大いなる者、力ある者となさることができる。わたしたちの神よ、今こそわたしたちはあなたに感謝し、輝かしい御名を賛美します。」

ダビデは礼拝に参加していた市民たちの前でこれを祈りました。

王自らが、礼拝におうて、市民の信仰を導いていたのです。

そして、ダビデはこの祈りの中で、あらゆるほめ言葉を用いて神に栄光を帰しています。

ダビデは公に自らが神のしもべであること、神こそが王の王であると告白したのです。

歴代誌上29章14〜17節、「このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません。わたしたちは、わたしたちの先祖が皆そうであったように、あなたの御前では寄留民にすぎず、移住者にすぎません。この地上におけるわたしたちの人生は影のようなもので、希望はありません。わたしたちの神、主よ、わたしたちがあなたの聖なる御名のために神殿を築こうとして準備したこの大量のものは、すべて御手によるもの、すべてはあなたのものです。わたしの神よ、わたしはあなたが人の心を調べ、正しいものを喜ばれることを知っています。わたしは正しい心をもってこのすべてのものを寄進いたしました。また今、ここにいるあなたの民が寄進するのを、わたしは喜びながら見ました。」

ダビデは神を偉大なお方として、自分自身と市民たちをちっぽけな存在として語りました。

ダビデの謙虚で従順なこの祈りは、神に聞かれ、神に喜んでいただけたに違いありません。

歴代誌上29章18〜19節、「わたしたちの先祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、これをあなたの民の心の思い計ることとしてとこしえに御心に留め、民の心を確かにあなたに向かうものとしてください。わが子ソロモンに全き心を与え、あなたの戒めと定めと掟を守って何事も行うようにし、わたしが準備した宮を築かせてください。」

このように、ダビデは祈りの大半を神の賛美に費やし、神へのお願いはほんの少しだけでした。

歴代誌上29章20節、「こうしてダビデが全会衆に、「あなたたちの神、主をほめたたえよ」と言うと、会衆は皆、先祖の神、主をほめたたえ、主の御前と王の前にひざまずいて拝した。」

そして、最後にまた、ダビデは市民たちに、正しい礼拝をするよう導いたのです。

では、悪い例を見ていきましょう。

アハブ王は北イスラエル王国の最悪の王として、列王記上の終わり、預言者エリヤの話とともに登場します。

アハブ王は妻イゼベルに誘惑されて、イゼベルがイスラエルに持ち込んだ信仰、すなわちバアル信仰をし、悪いことにそれを市民にも強要します。

私たちは十戒の中で、第一戒で、主以外の神を持たないように、第二戒で、偶像の神を崇拝しないように言われています。

アハブはこれらを見事に破り、さらに、ナボテの殺害などの他の罪も犯しました。

アハブの偶像礼拝はバアルでしたが、現代の世界で際立った偶像とは何でしょうか?

それは、他の宗教というよりも、むしろお金ではないでしょうか?

私たちのリーダーがお金に強欲な人物だとしたら、市民もそれにつられて強欲になるか、汚職や盗みがはびこり善良な市民が苦しい生活に陥るかになります。

私たちのリーダーの偶像崇拝が、私たちの平和や正義を奪い得るのです。

マタイによる福音書06章24節、「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

ヘロデ王もまた、悪い王の例です。

使徒言行録12章で、ヘロデは使徒たちを迫害し、十二弟子の一人であったヤコブを剣で殺害します。

その後、ヘロデは自分自身を神に並べて、自分に栄光を帰したために、罰として死ぬことになります。

使徒言行録12章21〜23節、「定められた日に、ヘロデが王の服を着けて座に着き、演説をすると、集まった人々は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた。」

自分自身を神とすることもまた、偶像崇拝に他なりません。

ヤコブの手紙03章01節、「わたしの兄弟たち、あなたがたのうち多くの人が教師になってはなりません。わたしたち教師がほかの人たちより厳しい裁きを受けることになると、あなたがたは知っています。」

政治家、公務員、医師、教師、法律家、銀行員、村の長老、教会の長老など、あらゆるタイプのリーダーたちは、負っている責任の重大さを知り、畏れながら務めを果たしていかなければなりません。

というのは、リーダーの罪が及ぼす影響は、占領な一般市民に及び得るからです。

リーダーの責任についてよくわかったと思います。

ここで、リーダーに従う市民の責任を考えていきましょう。

エスエルサレムで過ごしていたとき、あらゆる仕方で反キリスト勢力からの挑戦を受けていました。

ルカによる福音書20章24〜25節、「「デナリオン銀貨を見せなさい。そこには、だれの肖像と銘があるか。」彼らが「皇帝のものです」と言うと、イエスは言われた。「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」」

このイエスの言葉は完璧でした。

皇帝も、あらゆる地上のリーダーも、神に由来するということを明言し、神にこそ栄光を帰すべきだという最高の教えとなりました。

同時に、市民も地上のリーダーへの尊敬を忘れずに、地上の政府に税金を納めることを怠らないようにという教えにもなりました。

ローマの信徒への手紙11章36節、「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。」

では、私たちがすべきことはどんなことでしょうか?

ローマの信徒への手紙12章01節、「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」

リーダーに従うという今日のテーマにおいて、この「生けるいけにえ」をどのように実践していったら良いのでしょうか?

そのままローマの信徒への手紙を読み進め、13章に入って行きましょう。

そこに実践的なアドバイスが書かれています。

ローマの信徒への手紙13章01節、「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」

ローマの信徒への手紙13章07節、「すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。」

お祈りをいたしましょう。

天の主なる神様、

聖なる、聖なる、聖なるかな、昔いまし、今いまし、来たるべきお方、全能の主なる神様、

アルファでありオメガであり、最初で最後、始まりと終わりであるお方、

全てはあなたから出て、あなたによって成り、あなたに帰って行くのです。

王の王、主の主、大統領の大統領、知事の知事、私たちの全てであるお方、

地上の隅々にあるあなたの栄光を現わすものを集められ、過去も現在も未来も、永遠に、それらが全てあなたのもとに帰って行きますように。

イエス・キリストの御名において、信じ、祈ります。

アーメン。